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東京高等裁判所 昭和26年(う)2164号 判決

控訴人 被告人 村尾俊雄 外二名の原審弁護人 塩原時三郎 外二名

検察官 田中政義関与

主文

本件各控訴は、いずれもこれを棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は本判決の末尾に添附した、被告人村尾俊雄の弁護人塩原時三郎、被告人鳥山和夫の弁護人堀込俊夫、被告人茅野稔の弁護人斎藤元秀各作成名義の各控訴趣意書記載のとおりであつて、これに対する当裁判所の判断は次に示すとおりである。

一、被告人鳥山和夫の弁護人堀込俊夫の論旨第一点について、

所論は原判決は事実の誤認があると主帳するものである。

訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠、すなわち司法巡査作成の山田一男の参考人供述調書原審第三回公判調書中の証人名塚定治、同大沼丈の各供述記載並びに被告人等の原審公判廷における各供述等を綜合すると、被告人村尾俊雄は韓国人崔泳九から本件麻薬の売却方の依頼を受けてこれを承諾し、被告人鳥山和夫に右麻薬の買手を物色紹介してくれと依頼したところ、被告人鳥山和夫はこれを承諾して更に原審相被告人藤郷登に対し、同様の依頼をした結果、原審相被告人藤郷登はこれを承諾して山田一男に対し麻薬を売りたいという人があるから買手を世話してくれないかと依頼したところ、山田一男は右藤郷登より依頼された次第を警視庁巡査部長麹町警察署勤務名塚定治に密告したため、名塚巡査部長は山田一男の協力を得て藤郷登に対し、麻薬を買いたいからと申込み、買人を装つて、昭和二十五年一月十日東京都台東区下谷竹町十二番地の二十四号所在日本興業社被告人茅野稔方に赴き、他方註文を受けた藤郷登は名塚巡査部長等を真実の買人であると誤信し、被告人鳥山和夫に連絡し、被告人鳥山和夫は被告人村尾俊雄に連絡した結果被告人村尾俊雄が鳥山、藤郷と共に本件麻薬約百瓦を持参して右日本興業社に到り、名塚巡査部長等と会見し、麻薬売買の交渉を始めたところを検挙されたものであることは所論のとおりである。

所論は本件被告人等は右のように名塚巡査部長にだまされて本件麻薬を運搬したものである。被告人等の所為すなわち運搬は総て名塚巡査部長の誘導、欺罔による誘発であつて、麻薬所持者崔泳九の所持を名塚巡査部長の所持に移行せしめたに止り、法に規定する独立の所持とは云い得ないものである。所持が罰せられる理由は一般的流通状態におかれる危険があるからであるが、本件の場合はその危険がないのであつて必然的に名塚巡査部長の手に渡る決定的運命にあつたものであると主張するけれども、

(一)麻薬取締法が麻薬の輸出入、製造、販売、研究、施用の全部を政府の統制下におき、麻薬の不正所持又は取引を一切禁じようとしている法意等より考慮すれば、同法において認められる場合以外の麻薬の所持はすべて不法所持として禁止され処罰を免れないものであると解するを相当し、所論のように所持が処罰されるには一般的流通状態におかれる危険が存在することを必要とするものとは認められない。従つて被告人鳥山和夫等の本件所為を麻薬を不法に所持したものとして処断した原判決は正当であつて、原判決には所論のような違法は存しない。

(二)仮りに所論のように麻薬の所持が処罰されるには一般的流通状態におかれる危険が存在することを必要とするものとしても原判決の挙示した各証拠を綜合すると被告人村尾俊雄、同鳥山和夫及び原審相被告人藤郷登はいずれも山田一男が名塚巡査部長に密告する以前に本件麻薬の買受人を物色して麻薬を売却しようと奔走していた事実を認めることができるからもし本件の検挙が遅れたら本件麻薬が一般的流通状態におかれる危険が多分にあつたことが窺はれる。従つて偶本件が前記密告によつて麻薬が警察職員の手に渡つたからと云つて被告人等において麻薬不法所持の責任がないものとは認められない。論旨はいずれの点から見ても理由がない。

一、同第二点について、

所論は本件被告人等は前記の如く名塚巡査部長に「だまされて」麻薬約百瓦を所持者崔泳九の所持から名塚巡査部長の所持に移転したものであるが、同巡査部長等は被告人等をだまして斯る行為を為さしめそれを目して麻薬所持者なりとして検挙し遂に原審において有罪の判決を受けた次第であつて、被告人等は方便に使用された上「わな」にかけられたのである。かかる警察官の措置は明かに人権蹂躙であつて憲法第十三条に規定する「自由権」の保障に違反するものであるから本件被告人等の所為は処罰すべき限りでないと信ずる。しかるに被告人等に対し有罪の言渡をした原判決は法令の適用に誤があるというにある。

よつて審按するに本件被告人等が検挙されるに至つた経過は前記のとおりであるが、原判決の挙示した各証拠を綜合すると被告人村尾俊雄、同鳥山和夫及び原審相被告人藤郷登は、山田一男が名塚巡査部長に密告する以前に、既にいずれも本件麻薬の買受人の物色につとめ、買受人に交付し代金を受領する意図であつたことが窺知されるのみならず、本件は山田一男の密告に因つて名塚巡査部長等が恰も真実の麻薬買受人であるかのように装つて被告人等と売買についての交渉をすすめて被告人等を逮捕したものであるけれども、被告人等としては同巡査部長等を警察官であるとは知らず、普通一般人に売るつもりで麻薬を所持して行つたものであることが明らかである。本件において警察職員が使つたトリツクは単に警察職員たる身分を隠して麻薬を買い受けたいと申出でただけであるから、被告人等にもし売却する意思がないならば、自由にこれを拒絶して犯行を避けられるのであるから本件の場合警察職員の執つた手段を目して憲法第十三条に規定する自由権の保障に違反するものとは認められない。されば被告人等に麻薬不法所持の責任を認めて有罪の言渡をした原判決には所論のような違法は存しない。論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 大塚今比古 判事 早野儀三郎 中野次雄)

被告人鳥山和夫の弁護人堀込俊夫の控訴趣意

一、原判決は事実の誤認がある。

原審判決は、理由第一、(イ)被告人村尾俊雄は住所不定の韓国人山本某事崔泳九から依頼を受け被告人鳥山和夫から被告人藤郷登に売口の斡旋方を依頼し、三名共謀の上昭和二十五年一月十日午後五時東京都台東区下谷竹町十二番地の二十四号所在日本興業社被告人茅野稔方に於て販売の目的で塩酸ヂアセチルモルヒネ約百瓦を所持したものであると判示するも、原審訴訟記録及裁判所において取り調べた証拠即ち山田一男の参考人供述調書(記録三十三丁)証人名塚定治、同大沼丈の証言並に被告人等の陳速を綜合すると本件事実関係は次の通りである。「山田一男なる者あり、藤郷登から『麻薬を売りたい者がある』旨を聞き、その由を警視庁巡査部長麹町警察署勤務名塚定治に密告し、名塚巡査部長は山田の協力を得て藤郷登に対し、麻薬を買い度いからと申込み買人を装い(名塚は社長で買主、大沼巡査は買主のために麻薬の真偽を鑑定する薬剤師)昭和二十五年一月十日東京都台東区下谷竹町十二番地日本興業社に赴き他方注文を受けた藤郷は真実の買人なりと誤信し、鳥山に連絡し、韓国人崔泳九の所持する麻薬約百瓦を村尾俊雄をして持参せしめ、右欺装買人名塚巡査部長等に引合せ」たので検挙されたものである。証人大沼丈(警視庁巡査、麹町警察署勤務)問 ではどういういきさつから検挙したか。答 我々は名塚部長の聞込みによつて客をよそつて行きました(記録五十四丁裏)。部長が藤郷と電話で話をしてからです(五十五丁裏)。問 藤郷は麻薬であることを確認していたか。答 大体藤郷や鳥山等は仲介人のようであるのではつきり品物については認識していないようです(五七丁)。証人 名塚定治(警視庁巡査部長麹町警察勤務)。答 大沼証人と二人で客にまねて行きました(六二丁)。問これはどういういきさつから向いたのか。答 山田一男というものから聞込みてその人が藤郷に電話をかけて私共と連結をとつてくれたからです。問 どういう疑があつたか。答 麻薬取引者というだけで取引量とか常習であるとかいうことは全くわかりませんでした(六二丁裏)。問 山田一男が連絡をとつてくれた後は証人達でどういう話をしたのか。答 私共は客としてお互に住所も氏名も語らずに取引をしようというつもりで商談をしました。問 主として大沼と証人がこの取引にあたつたのか。答 はいそうです、大沼巡査と二人が商人ということで行きました(六三丁)。

本件被告人等は右の通り名塚巡査部長に「だまされて本件麻薬を運搬」したのである。被告人等の行為即ち「運搬」は総て名塚の誘導、欺罔による誘発であります。所持者崔泳九の「所持」を名塚の「所持」に移行せしめたに止り、法に規定する独立の「所持」とは云い得ないものであります。所持が罰せられる理由は、一般的流通状態におかれる危険があるからですが、本件ではそれがありません。必然的に名塚巡査部長の手に渡る決定的運命にあつたのです。砂中の砂鉄を蒐集するための磁石の役目をつとめただけで、実質的には麹町警察署の麻薬取締に協力したものであります。

二、原判決は法令の適用に誤がある。

前記の如く本件被告人等は名塚巡査部長に「だまされて」麻薬約百瓦を所持者崔泳九の所持から名塚の所持に移転したものであるが、名塚等は被告人等をだまして斯る動作を為さしめ、それを目して麻薬所持者なりとて検挙し、遂に原審判決と相成つた次第であります。被告人等は「方便に使用された」上「わな」にかけられたものです。これは明かに人権蹂躙であつて憲法第十三条「自由権」の保障に違反するものであります。本件被告人の所為は処罰すべき限りでないと信じます。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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